|
以下の文章は1999年9月23日、東京で開かれた責任者の集会の後に機会を戴いて発表したものです。 その趣旨はその霊の中には手順を経て究極的に完成された三一の神だけではなくキリストと共に生かされ復活させられ共に天上に座せしめられた「客観的な私たち」、即ち、人の成分が含まれることです。 従来の認識は、その霊は手順を経て究極的に完成された三一の神だけで構成され、人の成分は含まれません。 質疑応答無く、テキトーにあしらわれた形で終了。足かけ18年前のことでした。東 |
| 新しい人、神の住まい、キリストの奥義 |
| エペソ2 : 15, 4:24 (新しい人) エペソ2 : 22, ヘブル8:2(神の住まい,真の幕屋) エペソ3:4−6(キリストの奥義) Iコリント15:45 b (最後のアダム,命を与える霊) |
|||||
しかし、最後のアダムは命を与える霊となった。(Iコリント15:45b) しかしあわれみに富んでおられる神は・・・わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かし、・・・ キリスト・イエスの中でわたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました。(エペソ2:4−6)
1.最後のアダムであるキリストは、彼の十字架の死と復活、昇天を通し、命を与える霊となられましたが、一方で、 同時に、一つの合併が出現しました。 2.この完成されたものには多<の名があります。すなわち,召会(エペソl:23),からだ(1:23),傑作(2:1o),新しい人(2:15), 神の王国(2:19),神の家(2:19),聖なる宮(2:こ1),神の住まい(2:22),キリストの奥義(3:4),新創造(がラ6:15),上なるエルサレム (ガラ4:4),真の幕屋(ヘブル8:2)・・・などです。 二.この完成されたもの、合併(所謂、霊的事実、または客観的事実)は今日どこに存在しているのでしょうか? 1.「新しい人」(エペソ2:15 4:24) a.「・・・それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和を造るためであり、」(エペソ2:15) この完成されたもの、合併のーつの呼び名は「新しい人」です。 今日この「新しい人」はどこに有りますか? b.エペソ4:23−24は言います。「そして、あなたがたの思いの霊の中で新しくされ、・・・・神にしたがって創造された新しい人を着た のです。」思いの霊の中で新しくされて、「新しい人」を着たということは、「新しい人」をわたしたちが主観的に経験することです。 c.そのためには、「新しい人」はわたしたちの霊の中に存在しなければなりません。 d.この方はキリストです、ただし、ユダヤ人と異邦人、すなわち、すべての選びの民と合併されたキリストです。 これが「新しい人」です。(エペソ2:15) e.キリストとわたしたち、すなわち、すべての選びの民との合併されたものが、わたしたちの霊の中にも存在するのです。 f.これは理解し難い奥義的なことですが、パウロがこのことを言っているのです。 2.「神の住まい」(エペソ2:22) a.エペソ2:22 は言います。「その方の中で、あなたがたも共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至るのです。」 この節は、 明らかに、「神の住まい」が人の霊の中にあることを証言しています。 b.パウロはここで、人の霊が「神の住まい」である、とは言っていません。人の霊の中に「神の住まい」がある、と言っているのです。 人の霊と神の住まいとは別のものです。 c.「神の住まい」とは、神の幕屋のことです。(出エジプト25:8、サムエル記下フ:6)。ヘブル8:2で言われている「真の幕屋」と 同じものです。 d.また、この「神の住まい」は、言うまでもなく、完成されたものです。 というのは、パウロは「へと」(into、ギリシヤ語eis)という前置詞を用いているからです。 e.地上でわたしたちが共に建造されて、わたしたちの霊の中にあるものと全く同じものへと完成されるという意味です。 f.ですから、この「神の住まい」は、神が、キリストの中で二千年前に完成された存在でなければなりません。 g.そのような完成された「神の住まい」、すなわち、神の真の幕屋が、今日、わたしたちの霊の中にもあるのです。 3.「キリストの奥義」(エペソ3:4−5) a.エペソ3:4−5は次のように言います。「・・・キリストの奥義・・・その奥義は、今や彼の聖なる使徒たちと預言者たちに、霊の中で啓示されていますが、・・・」 b.ここでは、「キリストの奥義」が、使徒たちと預言者たちで代表される信者たちの霊の中に啓示されて存在していることを明言しています。 c。使徒たちと預言者たち(信者)に啓示されたものとは、単なる教えではありません。パースンです。 d。「キリストの奥義」とは、キリスト・イエスの中で、ユダヤ人と異邦人とが共に相続人となり、共にからだの肢体となり、共に約束に与る 者となることです(エペソ3:4)。これは、キリストの十字架、復活と昇天を通して、既に、完成されています。 e。福音の宣べ伝えを通して、この完成されたものと全く同じものが地上に再現されたのが、エペソ3:4に述べられているものです。 f。このような奥義が、召会、すなわち神とすべての選びの民との合併が、既に、二千年前に完成していて、それが今日、わたしたちの霊 の中に啓示されて存在しているのです。 三.合併され、完成されたキリストの事実が、今や、わたしたちの霊の中にも存在します。 1.以上三つの項目に関する議論から、次のように結論できます。すなわち、このキリストにおいて二千年前に完成されたもの、合併は、 単に客観的な事実として天にあるばかりでなく、わたしたちの霊の中にも来て、主観的に経験できるものとなっている、いうことです。 2。この存在は、一人の方、キリストです。ただし、共に十字架に付けられ、贖われ、共に復活させられ、共に栄光化された、すぺての選 びの民、と合併された一人の方キリストです。 四.どのようにしてわたしたちに来ましたが? 1.この完成されたものが、どのようにしてわたしたちの霊の中に入って来たのでしょうか? 2.これは、合併自身が、命を与える霊として(Iコリント15:45b)わたしたちの霊の中に人つてきたと考えるべきです。 3.即ち、完成された合併と、命を与える霊とは、全く同じものであるということです。 4。多くの名前を持つこの完成された存在が、今日、わたしたちの霊の中にも、主観的に経験できるものとして存在しているのです。この 方は合併状態にあるキリストご自身に他なりません。 五.段階的な完成 1。第一段階の完成 a.神は、キリストの十字架、復活と昇天を通して、唯一、この合併を創造、完成さ れました。この完成は新約における第一段階の完成 です。 b.その完成はあまりにも素晴らしいので,多くの名が付けられています。召会(エペソ1:23),からだ(1::23),傑作(2:10),新しい人 (2:15),神の王国(2:19),神の家(2:19),聖なる宮(2:21),神の住まい(2:22),キリストの奥義(3:4),新創造(ガラ6:15),上なるエル サレム(ガラ4:24),真の幕屋(ヘブル8:2)・・・などです。 2。第二段階の完成。 この完成された合併であるキリストが、命を与える霊として、わたしたちの中に分与 されます。そして、それと全く同じものが、勝利者 たちを通して、地上に再現されま す。それが第二段階の完成です。千年王国における新エルサレムがそれです。 3。第三段階、即ち、究極の完成 第三段階、即ち、最終的な完成が、すべての聖徒たちによる新天新地の新エルサレム として出現します。 注)この議論の理解を助けるために:− @二千年前に、キリストと共に十字架に付けられ、復活させられ、天上に座らされた「わたしたち」(客観的なわたしたち)と A地上で、再生され、造り変えの途上にある「わたしたち」とは一応区別して考えなければなりません。(主観的なわたしたち) B便宜上、前者を「客観的なわたしたち」、後者を「主観的なわたしたち」と呼びましょう。 Cわたしたちは、キリストの受肉の時、彼の肉体の中で、彼と結合されました。イエスがユダヤの地を歩いておられたとき、わたしたちは 、彼の肉体の中で、彼と共にいました。彼が十字架に付けられていたとき、すべての選びの民であるわたしたちは、彼と共に十字架に付 けられつつあったのです。ですから、パウロは「キリストと共に十字架に付けられた。」と言うことができました。そして、三日目に、彼と共 に、復活させられ、共に天上に座らせられました。このようなわたしたちが「客観的なわたしたち」です。 Dこれら二つの「わたしたち」の存在に関し、密接な関連性があるとはいえ、区別して、一応、別の存在、と考える必要があります。 以上 |
|||||
![]() |
|||||
| その霊の新しい理解 |
2017/2/7
東 信男(Higashi Nobuo)
ftmp2009(atmark)gmail.com