HOME 20. 質問と答え

   一人の新しい人(エペソ2:15)についてLSM(リビングストリームミニストリーズ)
   のメンバーの兄弟たちに質問しました。
   
第一弾
(質問1.A兄弟 宛て)
      
私たちの霊の中にある一人の新しい人

ftmp2009@gmail.com >           (’18)2月28日

拝啓 A兄弟へ                                 

日本の東信男(Higashi Nobuo)です。
私たちは、‘17年7月に一人の新しい人について議論しました。

貴兄は、一人の新しい人が召会であると信じておられます。
そして、私たちの霊の中にもその一人の新しい人がいます。そして、これら両者の間には矛盾がない
というのが貴兄の認識であられ、あなたがリー兄弟と同意見であることが分かりました。

そこで、私たちの霊の中にある一人の新しい人に関して、一つ質問をさせてください。

ユダヤ人および異邦人の両者はどこにいるのでしょうか?

東 信男(Higashi Nobuo)

  
第二弾
(質問2.B、C、D兄弟 宛て)

私たちの霊の中にある新しい人について

ftmp2009@gmail.com >            ('18)3月9日

拝啓 LSMの兄弟たちへ

日本の東信男(Higashi Nobuo)です。
リー兄弟はエペソのライフスタディM24において(下に引用)「私たちの霊の中にも新しい人がいる」
と語っておられます。

そこで、質問ですが、

ユダヤ人と異邦人の二者はどこにいるのでしょうか?

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https://www.ministrybooks.org/books.cfm?n

                          私たちの霊

「霊の中で」という句はエペソ書では第一章を除けば、他のどの章の中にも出て来ます。あなたはわたしたちの霊の中には何があると認識しますか。あなたは主イエスと神の霊が、わたしたちの霊の中にあると言うかも知れません。それはもちろん正しいです。しかし今やわたしたちは、新しい人がまたわたしたちの霊の中にあることを見る必要があります。神の住まい、彼の住まわれる場所はわたしたちの霊の中です(2章22節)。予表では、エルサレムの古代の都は神の住まいでしたが、今日神の住まわれる場所はわたしたちの霊の中です。わたしたちの再生された霊は今日のエルサレムです。・・・
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東 信男(Higashi Nobuo)

コメント:最大20日待ったけれども、いずれの質問にも返事はなし

第三弾
(返事無しをうけて.A、B、C、D 四人の兄弟たち宛て)

私たちの霊の中にある新しい人について 

ftm?< ftmp2009@gmail.com >      ('18)3月21日

拝啓 LSMの兄弟たちへ

東信男(Higashi Nobuo)です。
私は二度に渉って一つの御質問を差し上げましてから、
最大20日が経過しましたが、一通のご返事も戴くことはありませんでした。

これは、きっと、あなた方は、
考えに、考え、熟慮に熟慮を重ねられたにもかかわらず、
解答を見出すことがお出来にならなかった。
それで、私にメールすることを諦めざるを得なくなったに違いありません。
了解しました。

そこで、あなた方が答えを知りたいとお思いであれば、
こちらのページをご覧ください。

http://www17.plala.or.jp/FTMP/BibleTruth2/20.%20A%20question%20and%20answer.html
(英文ページ。これを翻訳したのが次の第四弾)

東 信男(Higashi Nobuo)

第四弾
(HP 20. A question and answer の和訳)

一部修正有り'18.04.06、04.17
A. 質問

拝啓 LSMの兄弟たちへ

日本の東信男(Higashi Nobuo)です。
リー兄弟はエペソのライフスタディM24において(下に引用)「私たちの霊の中にも新しい人がいる」と語っておられます。

そこで、質問ですが、

ユダヤ人と異邦人の二者はどこにいるのでしょうか?

----------------------------
https://www.ministrybooks.org/books.cfm?n

                      私たちの霊

「霊の中で」という句はエペソ書では第一章を除けば、他のどの章の中にも出て来ます。あなたはわたしたちの霊の中には何があると認識しますか。あなたは主イエスと神の霊が、わたしたちの霊の中にあると言うかも知れません。それはもちろん正しいです。しかし今やわたしたちは、新しい人がまたわたしたちの霊の中にあることを見る必要があります。神の住まい、彼の住まわれる場所はわたしたちの霊の中です(2章22節)。予表では、エルサレムの古代の都は神の住まいでしたが、今日神の住まわれる場所はわたしたちの霊の中です。わたしたちの再生された霊は今日のエルサレムです。・・・
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B.答え

ユダヤ人と異邦人も私たちの霊の中にいる。

あなた方は言うでしょう。「ユダヤ人と異邦人も私たちの霊の中にいるだって? あり得なーい!」
あります!私たちの霊の中にユダヤ人と異邦人を含む一人の新しい人が存在することは正解です。と言うのは、新しい人は私たちが着なければならないからです。また、すぐ後で述べますが、キリストとユダヤ人異邦人とは不可分の状態で結合されているのです。 あなた方が私の問いに答えることが出来なかったことは、取りも直さず、あなた方の「一人の新しい人」理解が間違っており、デタラメであることの証拠です。

「新しい人は、わたしたち、旧創造に属する者をその構成要素として創造されましたから(エペソ2:15)・・・」(コロサイ3:10フットノート3) だって???
「一つからだ(2:16)がキリストのからだなる召会」 だって???
寝言は寝て言いなさい。

見なさい!
エペソ2:1−6で、 5節から6節に、キリストと私たちユダヤ人(v3)と異邦人(v1−2)の完成された完全な結合があります。この完成された完全なユダヤ人と異邦人との結合こそが
一人の新しい人(v15)です。同時に、傑作(v10)、一つ霊(v18)、聖なる宮(v21)、神の住まい(v22)でもあります。この一つの存在には多くの名前があります。

エペソ人への手紙
1:23 この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。
2:1ところであなたがたは、自分の違犯と罪の中に死んでいて、
2:2かつてはそれらの中で、この世の時代に流され、空中の権威の支配者、すなわち不従順の子らの中に今も活動している霊の支配者にしたがって、歩いていました.
2:3わたしたちもみな、かつては彼らの間で、自分の肉の欲の中で振る舞い、肉と思いの望むままを行なっていたのであり、ほかの人たちと同じように、生まれながら激怒の子でした.
2:4しかし、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、
2:5わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)、
2:6
キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました.

C. この「私たち」とは一体何者?


リー兄弟は幕屋のたれ幕に刺繍されたケルビムから、キリストが受肉の際に万物をご自分の肉体の中に包含されたことを見ました。(エペソLSM24 p290, コロサイLSM27 p314) これは彼が見られた偉大な啓示の光です。主を讃美します。

1節から6節にある、「私たち」や「あなた方」は地上にいる私たちやあなた方ではなく、そのキリストの受肉の際に彼の肉体の中に取り込まれた「私たち」であり「あなた方」なのです。この「私たち」はキリストが地上におられた間、彼が通られたすべての過程を共に通過しました。彼と共に十字架に付けられ(v16)、生かされ、彼の中で彼と共に復活させられ、天上で彼と共に座に着いたのでした。この「私たち」のことを私は「客観的な私たち」と呼びます。そして、地上にいる私たちのことを「主観的な私たち」と呼びます。上の各節を注意深く読むならば、そこにある「私たち」や「あなた方」が彼の肉体の中に取り込まれていたあの「客観的な私たち」であることが分かる筈です。そして、「客観的な私たち」としてのユダヤ人と異邦人がエペソ2:15の一人の新しい人の構成要素です。二つの者(v15)、「両者」(v14、16)は勿論「客観的な私たち」です。 この二つ「客観的な私たち」と「主観的な私たち」の峻別は極めて重要です。この両者を峻別すべきことをリー兄弟は見ませんでした。その結果、リー兄弟とあなた方は皆、区別することをしませんでした。それで、あなた方は誤りの落とし穴に落ち込んでしまったのです。しかも20年以上もの間。嗚呼、何ということか!!

このような一人の新しい人が今日、私たちの霊の中にあるのです。勿論、「客観的な私たち」であるユダヤ人と異邦人も一緒です。また、一つ霊を見なさい。これはキリストの中の両者から一人の新しい人を創造し、一つ体の中にある両者を、その中の敵意を殺すことにより神に和解させた霊であるという意味に違いありません。この一つ霊はその霊の呼び名の一つです。

そして、現在これらの「客観的な私たち」は至聖所の黄金のケルビムで予表される「すべての中のすべて」(1:23)、コロサイ書では全豊満(コロサイ1:19)の構成の一部分となっています。
エペソ2章1-6節は1章23節からの続きであることを忘れてはいけません。

D. 一つ霊(その霊)の定義変更が必要

上述から、一つ霊(v.18)も同じキリストと「客観的な私たち」との結合であることが分かります。
だから、その霊の定義も当然修正の対象となります。(以下の図と表を参照)

     手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身
                     
     手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身プラス全豊満
以上
その霊に関する
新しい理解と従来の理解
  受肉 十字架、復活、昇天 その霊 コメント
新しい理解 言葉は肉体となられたが、その際に「客観的な私たち」を含む万物をご自身の肉体の中に取り込まれた。(ヨハネ1:14、出エ36:35) エペソ2:5 わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちを3キリストと2共に1生かし(あなたがたが5救われたのは,4恵みによるのです)、
2:6 5キリスト・イエスの中で、わたしたちを2彼と共に1復活させ、彼と共に4天上で3座らせてくださいました.

手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身
プラス全豊満である

全豊満とはキリストの血によってご自身へと和解されたところの「客観的な私たち」を含む万物である。(コロサイ1:19-22)

Iコリント15:45b 最後のアダムは、命を与える1霊と成ったのです。

コロサイ1:19なぜなら、御子の中に、12豊満は住むことを喜ばれ、1:201彼を通して2万物を、すなわち、1彼を通して、地にあるもの5天にあるものを3ご自身に和解させ、彼の十字架の血を通して、4平和をつくることを喜ばれたからです。1:21かつてあなたがたは神から離れていて、悪い行ないのために、あなたがたの2思いの中で1敵であったのですが、1:22今や1彼は、ご自身の肉の体において、死を通して和解させてくださいました.それは、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、彼の御前にささげるためでした.
キリストと共に生かされ共に復活させられ、彼と共に天上で座らせられた如くにキリストとわたしたち(客観的な私たち)が固く結合された中で、このようなわたしたちがその霊の中に含まれることは極く自然なことである。
従来の理解 言葉は肉体となってわたしたちの間に幕屋を張られた。(ヨハネ1:14)










手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身である。
(その霊は三一の神だけで構成される)

Iコリント15:45b 最後のアダムは、命を与える1霊と成ったのです。

<---断絶の壁
その霊の中には人(客観的な私たち)の成分が含まれることはあり得ない。
したがって、左の図に於いて昇天とその霊の間に断絶がある。

(この表追加 2018/4/18)


2018/4/5
東 信男(Higashi Nobuo)
ftmp2009(atmark)gmail.com