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18.リー兄弟の勘違い




A.栄光化した(ロマ 8:30)

ローマ8:30 そして神はあらかじめ定めた者たちを、さらに召し、そして召した者たちを、さらに義とし、そして義とした者たちを、
さらに栄光化されました。

1.これはいつの出来事でしょうか


この出来事が起こった時期について、私が探した限りでは、すべての聖書解説者はリー兄弟を含めて、その時期を、
人が主イエスを信じた時であると認識しています。


そうだとすれば、彼らは「栄光化した」ことが説明できません。

聖書解説者は様々な理由を述べています。

「過去時制は栄光が将来において確実であるからです。」

「天には時間がないから。過去時制はヘブル語の文法に従っている。

彼らは過去時制について説明するのにたいそう忙しいのです。

否。

将来の出来事ならパウロは未来形を使うのは当然です。しかし、彼が過去形で書いたということは、それが過去の出来事で
あるからです。

この出来事は人が主イエスを信じた時の出来事では無く、2,000年前の主イエスの十字架と復活の時に起きたのであるということです。

これは、「客観的な私たち」に為された出来事であったということです。

これで、すべての問題は解決です。


ネット検索によると、カルヴァン、ジョン・ピーター・ランゲ、マシュー・ヘンリー、ジェーミソン・フォセット-ブラウン、ウエスレー…

みンな間違いです!


2.リー兄弟の勘違い


リー兄弟も他の註解者と同様に、この出来事は、人が主イエスと主を信じときの出来事だと信じておられました。

ここにリー兄弟の説明があります。

彼が少なからず悪戦苦闘しておられるようではありませんか?



さらにわたしたちはパウロ自身も含めて、ひとりとして栄光を与えられていません。しかもパウロはあらゆることを過去に置きました。わたしたちは時間に従属していることを記憶しなければなりません。ある偉大な教師は、天には時計がない、なぜなら、神は永遠の神であるから、と言いました。彼は永遠の神です。彼には時がありません。いつあなたは栄光を与えられましたか。あなたは永遠の過去に予定され、召され、義とされ、また栄光を与えられました。神の目においては、また彼の観念によれば、あらゆるものが成就されました。もし栄光化が成就されていないとしたら、使徒ヨハネはどうして一千九百年前に新エルサレムを見ることが出来たでしょう。彼は夢を見ていたのではありません。彼は実際にそれを見ました(啓示21章2節)。あなたは啓示録、すなわち未来の出来事の預言で満ちている書で使われているほとんどすべての動詞が過去時制であり、万事は成就されたことを示しているに気がついたことがありますか。なぜわたしはこの事を言うのでしょう。なぜなら、この事は31節がなぜ30節に続くかを説明するからです。わたしたちの運命は保証されました。わたしたちには保険会社の必要がないのです。わたしたちの義とされること、また栄光を与えられることは保証されています。永遠の神ご自身の中に保証されています。彼と比較することの出来る保険会社は地上に一つもありません。彼ご自身が最大の保険会社です。わたしたちの救い、義とされること、また栄光を与えられることは保証されています。なぜなら彼は万事を成就されたからです。わたしたちの感覚によれば、栄光化は将来起こることですが、神の概念によれば、それはすでに起こっているのです。神においては、あらゆることに時間がないのです。わたしたちの予定、召し、義とされること、また栄光を与えられることは永遠の問題です。時間の問題ではありません。このようにわたしたちは保証されています。(ウィットネス・リー兄弟、ローマ人への手紙ライフ・スタディ、中巻、M21.)







B.一人の新しい人(エペソ2:15)


エペソ2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄されたからです.それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、


1. パウロの論理の構成(2:11-22)


14節-18節は挿入文であって、主文は11-13節、19-22節であるということです。
(以下を参照)


2:11-13でパウロは望みなき異邦人の有様を説明します。

しかし、彼らはキリスト・イエスの血の中で、近くされたのでした。

そこで、v14-18で、パウロはキリストが如何にして彼らを近くされたかを説明します。


この二つの者たちは、一人の新しい人へと創造されて、キリストの個人的な体の中で和解させられ、一人の新しい人が一つ霊として両者のところにやって来、御父へと近付くことができるようになりました。


その結果、異邦人は最早や外国人でも、寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国籍、神の家庭のメンバーとなったのでした。

そして、彼らは聖なる宮へと、また、霊の中にある神の家族へと成長するのです。


ここで、パウロは、異邦人を神に近い者、神の家族とすること以外にいかなる意図も持っていないことは明らかです。

一人の新しい人とは何者?
一人の新しい人とはキリストご自身ですが、彼ご自身の中に、受肉以来彼の肉体の中に取り込んで居られた「客観的な私たち」を含むキリストであるということです。


一つ霊が何?
一つ霊とは、一人の新しい人自身でありその霊です。
そして、その内側に「客観的な私たち」を含んでいます。
ということは、その霊が人類を含んでいることを意味します。

エペソ2:11-22

エペソ2:11ですから思い起こしなさい.かつてあなたがたは、肉によれば異邦人であって、肉に手で行なった割礼の者と呼ばれる人たちからは、無割礼の者と呼ばれていました.
2:12その当時、あなたがたはキリストから離れ、イスラエルの国籍から除外され、約束の契約についてはよそ者であり、この世の中で希望もなく、神もない者でした。
2:13しかし、かつて遠く離れていたあなたがたは、今やキリスト・イエスの中で、キリストの血によって近くなったのです。




2:14なぜなら、彼ご自身は、わたしたちの平和であって、両者を一つにし、そして敵意である隔ての中垣を取り壊し、
2:15数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄されたからです.それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、
2:16また十字架を通して、両者を一つからだの中で神に和解させるためでした.それによって敵意を殺してしまったのです。
2:17そして彼は来られて、遠く離れていたあなたがたに、平和を福音として宣べ伝え、また近くにいた人たちに、平和を宣べ伝えられました.
2:18それは、わたしたち両者がキリストを通して、一つ霊の中で、父へと近づくことができるためです。


2:19そこであなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者、神の家族の者であり、
2:20そして、使徒たちと預言者たちの土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身が、その隅の石です.
2:21その方の中で、建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる宮へと成長していき、
2:22その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至るのです。



2.リー兄弟の勘違い


a.「二つのもの」



2:15数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄されたからです.それは、彼がご自身の中で、二つのものを
一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、


リー兄弟は「二つのもの」を地上に居るユダヤ人と異邦人、即ち、「主観的な私たち」であると勘違いをしました。その結果、彼は、
一人の新しい人が地上にある教会であると考えてしまいました。


しかし、「二つのもの」はそうではありません。キリストの受肉の時以来、彼の肉体の中に取り込まれていた者たち即ち、
「客観的な私たち」に他なりません。



b.「それによって」

v16に「それによって」という言葉があります。
これは「十字によって」という意味です。
そこで、v16は次のようになります。


2:16 また十字架を通して、両者を一つからだの中で神に和解させるためでした.それ(十字架)によって敵意を殺してしまったのです。


この節には十字架が二度も言及されます。十字架を通して、十字架によって、と。
これは、どう見ても不自然で奇妙です。

ところが、驚くべきことに、聖書の大部分が、RCVを含めてこの翻訳を採用しているのです。
信じられないことです!

英語訳だけを取ってみると、
NLT, ESV, BSB, NASB, KJV, HCS, ASV, DBT, ERV, GWT.ISR, ISV, KJP, NET, OJB, WEB, WBT, RSV, NRSV, MSG, RCV(21).
などがそうです。

日本語訳のRCVjpを含む5つの聖書は、すべてこの翻訳を採用しています。
DRB(Douay-Rheims Bible) だけが「彼の中にある」とまともに翻訳しています。.


「それによって」のギリシア語は"en autw"です。即ち、「その中にある」とか「彼の中にある」の意です。
ですから、「それによって」は間違いです。


では、「その中」は何を指すかというと、これはキリストの個人的な体である「一つ体」を指すのは間違いありません。


それで、v16はこう書くことが出来ます。


2:16 また十字架を通して、一つ体の中にある敵意を殺すことにより、一つからだの中にある両者を神に和解させるためでした。


一つ体の中にある敵意とは、キリストの肉体の中に取り込まれたユダヤ人と異邦人が神に敵意を抱いていたということです。


ですから、キリストが屠られたとき、ユダヤ人と異邦人は屠られました。そして、彼らの中の敵意も自動的に屠られてしまいました。


結局、キリストの復活において、ユダヤ人と異邦人の両者である「客観的な私たち」は神に和解させられました。


これが16節に関する正しい翻訳であると私は信じております。



3.一人の新しい人は教会か?


一人の新しい人は教会(召会)ではなく、キリストご自身です。ただし、彼の身体に「客観的な私たち」を含むキリストご自身です。


4. 一つ霊(v18)とは何?


一つ霊とは一人の新しい人そのもの即ち、キリストご自身であって、それが地上のユダヤ人、異邦人信者たち即ち、
「主観的な私たち」に来て、共に御父に近付くことを得させ、教会(召会)を建造させて、究極的には聖なる宮、即ち、霊の中にある
神の住まいへと至らせる働きを実行します(vv19-22)。





C.彼の恵みの卓越した豊富(エペソ 2:7)


エペソ2:7それは神が、キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する慈愛の中の彼の恵みの卓越した豊富を、来たるべき時代に
おいて展覧するためでした。



1.リー兄弟のエペソ・LSM21(p254)における言葉

<引用始め>

六.
神の恵みのずば抜けた富



七節は言います。「それは、キリストイエスにあってわたしたちに賜った慈愛による神のずば抜けた富を、きたるべき世々に展覧するためであった」。教会は現在の時代において産出されます。来るべき時代は千年王国と永遠の未来です。神の恵みもろもろの富を展覧するとは、全宇宙に公然とそれらを展覧することです。神の恵みもろもろの富はあらゆる限界を超えるものです。これらはわたしたちの享受のための神ご自身のもろもろの富です。それらは永遠にわたって公に展覧されるのです。七節は、神の恵みのずば抜けた富はキリスト・イエスにあるわたしたちに対する慈愛の中にあると言います。慈愛はあわれみと愛とから流れ出る情け深いやさしさです。神の恵みがわたしたちに与えられるのはそのような慈愛によってです。
<引用終り>


2.リー兄弟の勘違い


彼の言葉には、前の5節や6節との関連は全く見られません。ただ恵みに関する彼の一般的な認識を述べるだけに終わっています。

彼に「客観的な私たち」の認識があったならば、前節と関連する何らかの文言を見出すことができた筈です。


3.彼の卓越した恵みの豊富とは何?


パウロは直接、それが何であるかを説明していません。
しかし、前後関係から、それが何であるか見ることができます。


パウロは時々同様のことをしています。
例えば、「1つ霊(v18)」において、彼は何の説明もなしに、突然この言葉を使用します。
それで、彼の言葉を理解するのは難しいのです。


では、直前の4節-6節を見てください。
彼は言います。


2:4しかし、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、
2:5わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)、
2:6キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました.



ここで、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、・・・わたしたちを彼と共に復活させ、
彼と共に天上で座らせてくださいました.と言います。


そして、彼の彼の大きな愛の対象は地上の私たち、即ち、「主観的な私たち」に対してでは無く、「客観的な私たち」に対する大きな愛なのです。


こうして、キリストと「客観的な私たち」との結合が出現しました。


このキリストはユニークです。彼が復活においてご自分の中に「客観的な私たち」を含んで居られるからです。そうです。彼は、以前、古い人としての罪深い存在である「客観的な私たち」をご自分の内側に取り込んで居られました。しかし、彼の復活において、その「客観的な私たち」が、今や、天にあって、御座に着き、栄光化(Rom8: 30)された存在となっています。


この完成された結合こそが 彼の恵みの卓越した豊富 なのです。


注意してください。
キリストと「客観的な私たち」との完成された結合が、今や恵みとなって、「主観的な私たち」である地上に居る私たちを救うのです。
この結合自体が彼の恵みの卓越した豊富なのです。
そして、地上にいるあなたと私たち「主観的な私たち」が信仰(v8)を通してこの恵みによって救われます。


リー兄弟はキリストと「客観的な私たち」とのユニークな結合が「彼の恵みの卓越した豊富」であることを知ることができませんでした。
あの偉大な啓示の光を見たにもかかわらずにです(下記参照)。したがって、彼はこの節に、この見た啓示の光を適用することは
ありませんでした。これはビッグミステリーです!


リー兄弟の観た偉大な啓示の光
キリストが受肉されベツレヘムでかいばおけの中に生まれた時、彼はご自身の上に人性を着られました。この人性はわたしたち並びに被造物のすべてを含みました。ですから、わたしたちが生まれる前にさえキリストはわたしたちをご自身の上に着られたのです。キリストが人の生活を通過された時、わたしたちは彼と共にそれを通過しました。さらに彼が十字架に行き、十字架につけられた時、わたしたちは彼と共に十字架につけられました。それからわたしたちは彼と共に墓の中に葬られました。事実、被造物のすべてがそこに葬られたのです。ですから、キリストの墓は万有網羅の墓でした。わたしたちはまたキリストと共に復活し、そして、昇天しました。今や、わたしたちは教会生活にあずかっている間でさえ、彼と共にもろもろの天の中に座しているのです。一方において、わたしたちは地上の教会の中にあり、他方においてわたしたちはキリストの中でもろもろの天にいるのです。もろもろの天と教会との間に大量の交通があります。光の速度にもまさる速さで動く交通です。実はそのような交通に言及するのは人の見地からのことで、神の見地からするならもろもろの天と教会とは一つです。こういうわけで教会の中にいることはもろもろの天にいることです。(コロサイ書ライフスタディM27p314)




しかし、なぜ恵みの卓越した豊富なのですか?


4節、5節は言います。


2:4しかし、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、
2:5わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)、



ここの「私たち」は文脈から、地上にいる「私たち」ではなくキリストの個人的な肉体の中に取り込まれていた私たち、即ち、
「客観的な私たち」のことです。


そして、この「私たち」の「客観的な私たち」の状態は地上に居る私たち即ち、「主観的な私たち」と全く同じ有様です。
しかし、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、
わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かして下さいました(2:4,5)。


そして、彼の恵みの卓越した豊富、即ち、復活の中のキリストと「客観的な私たち」との結合が出現したのでした。


この恵みによって、地上に居る私たちとあなた、即ち、「主観的な私たち」は救われているのです(v7)。


()内の、恵みによってあなた方は救われているのです、はなんだと思いますか。


私はこう思います。「これが恵みだよ。この恵みによってはあなた方が救われているのだよ」とパウロは言っているようです。





D.全豊満(コロサイ 1:20)


コロサイ1: 19 彼の中に全豊満が住むことを喜ばれた。
1:20 コロサイ1:20 彼を通して万物を、すなわち、彼を通して、地にあるもの天にあるものをご自身に和解させ、彼の十字架の血を
通して、平和をつくることを喜ばれたからです。


a.1:19 なぜなら、彼は全豊満が彼の中に住むことを喜ばれたからです。

全豊満が御子の中に住むことを彼は、喜ばれました。  

回復訳は、ここを、「全豊満は...喜ばれた」と訳していますが、NKJV訳によれば、「父が喜ばれた」となっています。

ここの「彼は」は誰であるか、少々問題です。
前の節、18節の「彼」は御子を指していますが、御父か、御子或いは全豊満が考えられますが、全豊満でないでしょう。御父か、
御子と言うことでしょうか。

b.1:20 すなわち、彼の十字架の血を通して平和をつくることにより、地にあるものであれ天にあるものであれ、彼を通して、
万物を彼ご自身の中へと和解させることを喜ばれたからです。


20節のはじめに kai (そして、and)という言葉があります。
回復訳では訳されていません。

普通は「そして」と訳しますが、「すなわち」あるいは「そこで」と訳すべきかも知れません。

というのは、全豊満が御子の中に住むことが出来るようになるための手順を20節で述べようとしているわけです。「万物を御子の中に
和解させる」という手順を経て「御子の中に全豊満が住むこと」になったというのです。

回復訳の「地にあるもの、天にあるものをご自身に和解させ、(to Himself)」は、
「地にあるもの、天にあるものをご自身の中へと和解させ、( into Himself)」の方が正しい訳です。
と言うのは、ここでは、例の eis という前置詞が使用されているからです。(注1参照)

「の中へと」(eis)と訳されるのは、その意味が、単に御子に和解させるだけではなく、その結果、御子の中へと入れ込む、御子と結合
されるという、御子と万物との結合という思想を含んでいるのです。  

このように、御子キリストが彼の十字架の血を通し、平和をつくることにより、万物が彼ご自身の中へと和解された結果、前節19節の
御子の中に全豊満が住むことをもたらしました。  

御子の中に全豊満が住むという、このような存在は、既に、旧約聖書の中で、ノアの箱舟(創世記6:18-20,7:5-9)やモーセの幕屋
によって与表されていました。

すなわち、キリストを象徴する箱舟の中には、ノアの家族計八人の人々の他に多くの生き物が入っていました。
彼らは、その箱舟の中で洪水を経過したのでした。

[口語訳] 創世記
6:18 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。
6:19 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二つずつを箱舟に入れて、あなたと共にその命を保たせなさい。
それらは雄と雌とでなければならない。
6:20 すなわち、鳥はその種類にしたがい獣はその種類にしたがい、また地のすべての這うものも、その種類にしたがって、それぞれ
二つずつ、あなたのところに入れて、命を保たせなさい。


[口語訳] 創世記
7:5 ノアはすべて主が命じられたようにした。
7:6 さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。
7:7 ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。
7:8 また清い獣と、清くない獣と、鳥と、地に這うすべてのものとの、
7:9 雄と雌とが、二つずつノアのもとにきて、神がノアに命じられたように箱舟にはいった。


モーセの幕屋の垂れ幕上のケルビムは、キリストの十字架の時に裂かれました。また、至聖所の中、贖罪所の上には金の打ち物
づくりの二つのケルビムが有りました。

[口語訳] 出エジプト記36:35
また青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、垂幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出した。
[口語訳] マタイによる福音書
27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、


[口語訳] 出エジプト記
25:18 また二つの金のケルビムを造らなければならない。これを打物造りとし、贖罪所の両端に置かなければならない。
25:19 一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に造り、ケルビムを贖罪所の一部としてその両端に造らなければならない。
25:20 ケルビムは翼を高く伸べ、その翼をもって贖罪所をおおい、顔は互にむかい合い、ケルビムの顔は贖罪所にむかわなければ
ならない。


これは、キリストの中で十字架を経た万物が彼の栄光の中にいることを象徴しています。しかも、啓示録4章には、予表の成就である
贖われた万物が御座の中央とその周りにいる光景が描かれています。

これらの生き物が感謝を捧げていることから(4:9)、彼らが贖われたものたちであることが分かります。(回復訳フットノート4:9−1)

[回復訳] ヨハネの黙示録
4:6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようなものがあった.御座の中央と御座の周囲には、前も後ろも目で満ちた四つの生き物
がいたが。
4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は子牛のようであり、第三の生き物は人のような顔を持ち、第四の生き物は飛ぶ
わしのようであった。


[口語訳] ヨハネの黙示録
4:9 これらの生き物が、御座に座している方に、永遠にわたって生きている方に、栄光と尊貴と感謝とをささげると


堕落した人々だけではなく、彼ら多くの生き物を含む万物も御子を通して和解される必要があったのです。

c.1:21 そして、あなたがたは、かつては、遠く離れて、悪い行いの中にある思いによって敵であったのですが、

原文には、この節の始めにも kai (そして)があります。
これは前節とのつながりあることを意味しています。

「御子の中へと和解させられる前のあなたがたは、神から離れて・・・・」
というように、人に向きを変えます。
勿論、これは著者自身も含めたすべての選びの民のことを言っています。

その状態は、神から遠ざかり、悪い行いと邪悪な思いの中で神の敵でした。  

これは、二千年前、わたしたち(客観的なわたしたち)がキリストの肉体の中にあった時そうであったことを述べています。
わたしたちが主イエスを信じる前のことではありません。

d.1:22 今や、彼はご自身の肉体の中で、その死を通して和解させてくださり、あなたがたを彼の御前で、聖なる、傷のない、
責められるところのない者として御前に立たせて下さいました。


わたしたちは、彼の肉体の中にいたので、「ご自身の肉体の中で、その死を通して」わたしたちは和解させられました。  

キリストは受肉の時、万物即ち旧創造をご自身の肉体の中に取り込まれました。それがどういう方法であったかは分かりません。
これは奥義です。ただ、主イエスが乙女マリアの中に身籠もる方法を以てそうされたのでした。兎に角、キリストの受肉の際に、
わたしたちは、万物と共に彼の肉体の中に取り込まれたのでした。

そして、彼は十字架に行かれ、彼の肉体の中に取り込まれていたわたしたちと万物をキリストと共に屠られました。捨てるべきものは捨て去り、和解させるべきもは和解させられたのです。  

遂に、彼は、ご自身の中にわたしたち(客観的なわたしたち)を伴いつつ、復活と昇天を通して和解を達成してくださり、わたしたちを御前に聖なる、傷のない、責められるところのない者として立たせて下さいました。 今、現在、天においてそうであるのです。  

これは丁度、幕屋の立枠が、至聖所の契約の箱を取り囲んでいるのと似ています。 和解させられた選びの民が、主イエスを取り囲
んで力の限りに、「ハレルヤ!」と叫んで、彼に感謝と賛美を捧げているようではありませんか。

こうして、わたしたちを含む万物は全豊満とされました。
この全豊満は御子キリストと一つに混ざり合い結合されています。

幕屋の中にケルビムが有ることは、その霊の中にも、ケルビムに相当する万物が含まれても何ら不思議なことではありません。
この万物の中に、「客観的なわたしたち」が含まれるのは勿論のことです。

「客観的なわたしたち」を含む全豊満と共に、キリストが、その霊として、今日、地上のわたしたち、即ち、「主観的なわたしたち」に来て
下さっています。  

万物を含むとはいえ、この方は主イエス・キリストご自身です。決して化け物ではありません。ご心配なく。
このようなお方が、今日、わたしたちの中に来てくださっているのです。

このようにして、御子は召会のかしらであり、初めであり、死人の中から最初に生まれた方であり、万物の中で第一位でもあるお方です。
(18節)

主イエスは実に不思議な奥深いお方です。この全豊満は、キリストと万物との混ざり合いに他ならず、新エルサレムと同じものです。
新エルサレムの種と呼ばれる所以です。



e.リー兄弟の勘違い


1.彼は「豊満は表現された神ご自身」」(LSM10)とだけ述べて前後の関係を完全に無視しています。万物との関係は全く述べられて
いません。。


2.彼はまた全豊満は19節から22節まで関係があるのを見ていません。
これらの節は1セットです。



注1


1. apokatallaxee ..tw thew  
    アポカタラクセ-   ト- セオー

    神と和解させ、

2. apokatallaxai ta panta eis auton
    アポカタラクサイ  タ  パンタ  エイス アウトン

    万物を彼の中へと和解させる。

3. 文法的に言えば、和解させるという言葉 ( apokatallassw ,katallassw )は、  1.のように、「神に」(tw thew トーセオー )というように、目的語は三格(与格)を伴います。同様な用例は、新約聖書には下のように6ヶ所あります。

4.しかし、20節では、2.のように、「彼ご自身の中へと」(eis auton エイス アウトン)というように、eis+対格の目的語 を伴っています。和解についてのこのような記述は、新約聖書の中では、ここ一箇所だけです。

◎ローマ5:10 ..御子の死によって神との和解を受けたとすれば、(kateellageemen tw thew )....

◎コリント第一7:11 ..それとも夫と和解するかしなさい(tw andri katallageetw)....

◎コリント第二 5:18 ..神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ(katallaxanto hemas heautw)...

◎5:19 ..神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、(katallasswn heautw)......

◎5:20 ...そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。(katallageete tw thew)

◎エペソ 2:16..のを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架.(apokatallaxee ..tw thew)...  

以上6ヶ所が一般的な「和解」です。   








E.その霊


エペソ2:18それは、わたしたち両者がキリストを通して、一つ霊の中で、父へと近づくことができるためです。


1. 定義

a.. 一般的な理解

リー兄弟によれば、その霊とは手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身である、です。


b.新しい理解

ご承知の如く、一つ霊(エペソ.2:18、)や卓越した彼の恵みの豊富(2:7)は「客観的な私たち」を含んでいます。
それで、その霊が以下の通りに定義されると言わなければなりません。

その霊とは、手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身プラス全豊満である。


全豊満とは、キリストの血を通して彼に和解させられた「客観的な私たち」を含む万物である。(コロサイ 1:19 -22)


2.リー兄弟の勘違い:

不連続の壁
(下の図参照)


キリストは、彼の受肉において彼の肉体の中に万物を取り込まれた。そして、人間生活、十字架、復活、および昇天を経過された。
そして、「客観的な私たち」を含む万物と彼のユニークな結合が生まれた。(エペソ 2:5-6, 2:15, 2:18...)
したがって、その霊の中にも和解させられた万物、即ち、全豊満が含まれるべきである。しかし、リー兄弟の定義によれば、その霊は
三一の神だけで来られる。これは明らかな矛盾である。
その霊は当然、その中に全豊満を含む筈である。


その霊に関する
新しい理解と従来の理解
  受肉 十字架、復活、昇天 その霊 コメント
新しい理解 言葉は肉体となられたが、その際に「客観的な私たち」を含む万物をご自身の肉体の中に取り込まれた。(ヨハネ1:14、出エ36:35) エペソ2:5 わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちを3キリストと2共に1生かし(あなたがたが5救われたのは,4恵みによるのです)、
2:6 5キリスト・イエスの中で、わたしたちを2彼と共に1復活させ、彼と共に4天上で3座らせてくださいました.

手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身
プラス全豊満である

全豊満とはキリストの血によってご自身へと和解されたところの「客観的な私たち」を含む万物である。(コロサイ1:19-22)

Iコリント15:45b 最後のアダムは、命を与える1霊と成ったのです。

コロサイ1:19なぜなら、御子の中に、12豊満は住むことを喜ばれ、1:201彼を通して2万物を、すなわち、1彼を通して、地にあるもの5天にあるものを3ご自身に和解させ、彼の十字架の血を通して、4平和をつくることを喜ばれたからです。1:21かつてあなたがたは神から離れていて、悪い行ないのために、あなたがたの2思いの中で1敵であったのですが、1:22今や1彼は、ご自身の肉の体において、死を通して和解させてくださいました.それは、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、彼の御前にささげるためでした.
キリストと共に生かされ共に復活させられ、彼と共に天上で座らせられた如くにキリストとわたしたち(客観的な私たち)が固く結合された中で、このようなわたしたちがその霊の中に含まれることは極く自然なことである。
従来の理解 言葉は肉体となってわたしたちの間に幕屋を張られた。(ヨハネ1:14)
手順を経て究極的に完成された三一の神ご自身である。
(その霊は三一の神だけで構成される)

Iコリント15:45b 最後のアダムは、命を与える1霊と成ったのです。

<---断絶の壁
その霊の中には人(客観的な私たち)の成分が含まれることはあり得ない。
したがって、左の図に於いて昇天とその霊の間に断絶がある。

                                                              

2017/8/25
東 信男
(Higashi Nobuo)
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