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エペソ2:5 わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)、
2:6キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました.
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1.場違いな違和感
エペソ2:5の最後にある()で囲まれた言葉(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)、についてですが、ギリシャ語の原文には勿論()はありません。しかし、この箇所に違和感を覚えた方は多いのではないでしょうか。
前後は「わたしたち」が「死んでいたのに生かされ」「復活させられ」「天上に座る」話しです。
ところが、括弧内の句だけは「あなたがた」に関してであり「救い」の話しであり、それが「恵みによる」のだと言います。周りの文の流れとは全くかけ離れていて、私にしてみれば場違いで非常な違和感を感じない訳には行きません。
いくつかの註解を見たのですが。カルヴァンは多少の違和感を感じているようですがパウロの手になるものであるからOKだと言う感じ、他のはだいたい違和感は感じている風には見えません。これはなぜかと想像しますに、ここで違和感有り、と宣言した所で話しが先へ進まないだけです。だから註解者は違和感のことは置いといて、書いてある通りの無難な解説をおこなったのであろうと推察する次第です。
しかし、読者にしてみればそこの所が知りたい訳ですが、痒(かゆ)い所に手が届くような解説を注解者達はやってくれません。なぜか。分からないからです。知らないのです。注解者達は正直であって欲しいと思います。「私にはこの意味は分かりません。」と正直に告白している註解者が果たして何人くらいいるでしょうかね。
もし、そうだったら、読者は「えっ」分からないんだ。では自分も考えてみようじゃないか。と勇気づけられる人が出て来るかも知れないのです。これは聖書解釈進展の為には大変結構なことではないでしょうか。
それは置いといて。8節でもこれ ()内の言葉 に似た言葉が繰り返されています。この界隈には、「わたしたち」と「あなたがた」とが混在していて分かりにくい所です。
福音書の中で、主イエスが「たとえで語る」と言われましたが、それは人々が聞いても聞かず、見ても見えないためでした。(マタイ13:13) これと似たことがパウロの書簡の中でも言えるのではなかろうかと考えたりします。
2.違和感を解く鍵1
しかし、ここで一つ分かっていることは、2章の最初からそうなのですが、2:5-6において、()以外の「わたしたち」について言われている箇所は、「客観的な私たち」の事柄であることです。
そして、()内にある言葉は「主観的な私たち」即ち、地上に居るわたしたちについて言われていることです。「あなたがた」ですから、直接的にはエペソの信者のことが語られているのです。
これで一つ問題が解決して、違和感が幾分減少しました。
3.違和感を解く鍵2
しかし、まだ違和感は残ります。なぜ、恵みなのか、という問題です。
2:5-6には、復活と昇天して御座に着いたキリストと「客観的な私たち」との完成された結合があります。この結合された存在が実は恵みであるとパウロは言っているようなのです。お分かりでしょうか。
2:6キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました.
これです。ここに出現しているキリストと私たち即ち、「客観的な私たち」との完成された結合、これが恵みであると言っているようなのです。この恵みによってあなたがたは救われて今日に至るのだよ、と。
この認識に基づいて話しを進めます。
更に彼はこう言います。
2:7それは神が、キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する慈愛の中の彼の恵みの卓越した豊富を、来たるべき時代において展覧するためでした。
2:8 なぜなら、あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰を通してであって、
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ここで、神が彼の恵みの卓越した豊富を、来るべき時代に展覧すると言われます。
これはどういうことでしょうか。
2:6の完成された結合にはいくつもの名前が付いています。神の傑作(v10)、一人の新しい人(v15)、聖なる宮(v21)、神の住まい(v22)、などです。他にも、上なるエルサレム(ガラテヤ4:26)、栄光の望みキリスト(コロサイ1:)、真の幕屋(ヘブル8:2)、などがあります。これらはみな同じもの、キリストと「客観的な私たち」との結合です。厳密にはキリストと「客観的な私たち」を含む全豊満との結合です。
この存在が多くの名前を持つということは、この存在がいろいろな機能を有する非常に豊かな存在であることを証明しています。このことが彼の恵みの卓越した豊富と符合しますね。
そして、来るべき時代に、といいます。ということはこの恵みに与った者たちが、これらの名前を持つ存在と全く同じ存在となっているわけです。即ち、あなたも私も共に神の傑作(v10)、一人の新しい人(v15)、聖なる宮(v21)、神の住まい(v22)・・・となっているのです。このような私たちを神は宇宙に展覧しようと意図しておられることが理解できます。そして、主はこう宣言されるでしょう。
「見よ、わたしと、神がわたしに与えられた子供たちを」。(ヘブル2:13)
2:8 あなたがたが、信仰を通して救われたのは、その恵みによるからであって、・・・
2:8 th#j ga'r ca;riti; e]ste seswjsme;noi dia' th#v pi;stewv> ・・・
2:8をこのように変更しました。ここではその恵みと強調されています。来るべき時代に、神は、彼の恵みの卓越した豊富を展覧されるのです。あなたがたが今日救われているのは、そのようなすぐれて豊かなその恵みによってである、とパウロはエペソの信者たちに向って、その恵みの凄さと素晴らしさを強調するのです。
なんと光栄なことでしょう。私たちの父なる神と私たちの救い主なる主イエス・キリストの御名に感謝と讃美を捧げます。
これで、(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)
に関する違和感は解消することになります。如何でしょうか。
2:6の完成された結合を恵みと呼ぶことは間違ったことではないようです。
以上
2018/8/5(日)訂正
2017/5/22(月)
東 信男(Higashi Nobuo)
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