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10.すべての中のすべて


[回復訳]エペソ人への手紙
1:23 この召会はキリストのからだであって、すべての中ですべてを満たしているかたの豊満に他ならない



「すべての中ですべて」(all in all, pa;nta e]n pa#sin)についてですが、


これは万物が御子の血を通して和解されたコロサイ1:19の「全豊満」(
all the fullness, pa#n to' plh;rwma)に相当すると考えられます。つまり、すべての中ですべてと全豊満とは同じ意味だと考えて良いと思います。


コロサイ1:19なぜなら、彼は御子の中に、全豊満が住むことを喜ばれ、
1:20彼を通して万物を、すなわち、彼を通して、地にあるもの天にあるものをご自身に和解させ、彼の十字架の血を通して、平和をつくることを喜ばれたからです。



ただ、表現が異なっています。後の「すべて」は万物と考えてよいでしょうが、前の「すべての中の」は何だろうかと疑問が湧いてきます。


「始めから終りまで」ではなかろうかと私は考えます。


つまり、「始めから終わりまでの万物」あるいは、「すべての過程における万物」、もっと言えば、「その歴史すべてを含む万物」ということになりましょうか。


勿論、この万物の中には、サタンやそのしもべたちなどの、否定的な存在たちは、十字架と復活を経過したので滅ぼされてしまい、この豊満の中には含まれません。


例えば、あなたや私の場合、即ち、私たちの場合について申しますと、
私たちの始めから終わりまで、私たちの存在の初めから、その途中を含めて終わりまでということになります。


私たちは、エペソ1:4-5にあるように、天と地の基が置かれる前から、キリストの中で、また彼の愛の中で選ばれ、子たる身分へと予め定められました。(エペソ1:4-5)これが、私たちのはじめです。


では、私たちの終わりは何でしょうか?


それは、同じ章にある、{子たる身分」(1:5)や「彼ご自身」(1:5)「栄光の賛美」(1:6)「天上に座すこと」(2:6) 「彼の恵みの卓越した豊富を、来たるべき時代において展覧すること」(2:7)等々があるでしょうが、これらはすべて完成されたものです。即ち、新エルサレムと同じものです。


即ち、新エルサレムが私たちの終わりです。永遠の栄光の中で主イエスと共にあって終わりがないのです。これが、私たちの終わりです。


永遠の過去から、永遠の将来のことまで、何年何月の何日、何時何分に、あなたが何を、どのようにするかまで、初めから全部決まっちゃってたということです。


ともあれ、あなたや私の始まりから終わりまで、その過程を含むすべての歴史が、私たちの未来の事柄も含めて、キリストの中に一切含まれている、ということです。


このようなことが万物について言えるわけで、


その存在の始まりから終わりまでのすべての歴史を含む万物が、キリストご自身の中に含まれる、ということです。


そして、教会(召会)とはこの「すべての中のすべて」即ち、全豊満を満たしている方の豊満であるということになります。


これは、こういうことではないかと思います。教会(召会)を構成する信者たちは、みな、この全豊満を宿すキリストを内側に持っています。


ですから、この信者達を総合すれば、教会(召会)は全豊満を満たしている方の豊満となる訳です。


万物の運命がすべて定まっているとは何というとてつもないことでしょう。超弩級のとんでもないニュースでないでしょうか。そのような超弩級のお方が教会(召会)に与えられているのです。






2.そして、あなたがたは、


エペソ2:1を見ますと、「ところが」とあります。これを私は「そして」と素直に訳します。


これは、リー兄弟も言われる通り、前の節からの続きであることを示しています。


これはどういうことかと言いますと、パウロは「すべての中のすべて」の構成要素の一つである「客観的な私たち」についてこれから述べようとしているのです。


これは既述のコロサイ書の場合と同じであることが分かります。下に表にしておきました。

エペソ人への手紙 コロサイ人への手紙
エペソ 1:23 この召会はキリストのからだであって、すべての中ですべてを満たしているかたの豊満に他ならない


2:1そして、あなたがたは、自分の違犯と罪の中に死んでいて、
2:2かつてはそれらの中で、この世の時代に流され、空中の権威の支配者、すなわち不従順の子らの中に今も活動している霊の支配者にしたがって、歩いていました.
2:3わたしたちもみな、かつては彼らの間で、自分の肉の欲の中で振る舞い、肉と思いの望むままを行なっていたのであり、ほかの人たちと同じように、生まれながら激怒の子でした.
コロサイ1:19なぜなら、彼は御子の中に全豊満が住むことを喜ばれ、
1:20彼を通して万物を、すなわち、彼を通して、地にあるもの天にあるものをご自身に和解させ、彼の十字架の血を通して、平和をつくることを喜ばれたからです。


1:21そして、あなたがたは神から離れていて、悪い行ないのために、あなたがたの思いの中で敵であったのですが、



コロサイ書の場合には、全豊満の構成要素の一つである「客観的な私たち」が、かつて、即ち、古い人の時代に、神から離れて悪事を働き、思いの中で敵であったことが1:21で既述されています。


エペソ書でも同様に、「あなた方」(異邦人)が自分の罪と違反の中に死んでおり、同様に私たち(ユダヤ人)も云々...と1節から3節までコロサイ書と比べてかなり詳細に記述されています。


2:4しかし、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、
2:5わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちを3キリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)、
2:6キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました.
2:7それは神が、キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する慈愛の中の彼の恵みの卓越した豊富を、来たるべき時代において展覧するためでした。

1:22今や彼は、ご自身の肉の体において、死を通して和解させてくださいました.それは、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、彼の御前にささげるためでした.








以上

2017/5/3
東 信男(Higashi Nobuo)
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