| 3.万物がキリストへと和解されて全豊満となり、御子の中に住み、真の幕屋を構成する |
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A.[回復訳]コロサイ人への手紙 第1章18節−22節
1:18そして御子は、召会であるからだのかしらです.彼は初めであり、死人の中から最初に生まれた方です.それは彼ご自身が、万物のうちで第一位となるためです.
19:なぜなら、御子の中に、全豊満は住むことを喜ばれ、彼を通して万物を、すなわち、彼を通して、地にあるもの天にあるものをご自身に和解させ、彼の十字架の血を通して、平和をつくることを喜ばれたからです。
19:なぜなら、御子の中に、全豊満は住むことを喜ばれ、
これは全豊満が御子の中に住むのを喜んだ、という意味です。
これは間違いではありませんが、以下に述べますように、全豊満が喜ばれたと敬語を使うのは可笑しいですね。
その必要はありません。
ここで、御子を主語にして、これを次のように改めます。
19:なぜなら、御子はご自身の中に、全豊満が住むことを喜ばれ、
19節と20節から、御子へと和解させられた万物が全豊満であると理解できます。
そして、その全豊満が御子の中に住むと言います。
まさに、御子は万物のうちの第一人者です。そして、この第一人者はご自身の中に万物を包含されるのですから、なんとユニークな第一人者であることか!
そして、御子へと和解された万物である全豊満の一つの光景がたとえばこれでしょう。
おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、
雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、
乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。
その日、エッサイの根が立って、もろもろの民の旗となり、もろもろの国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある。(イザヤ11:6-10 口語訳)
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弱肉強食の時代は終わり、生き物たちは神の愛と平和の中で生きています。
続いて、
B.
21: かつてあなたがたは神から離れていて、悪い行ないののために、あなたがたの思いの中で敵であったのですが、
22:
今や彼は、ご自身の肉の体において、死を通して和解させてくださいました。それは、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、彼の御前にささげるためでした。
ここから、話しが「あなたがた」に移ります。
21節だけからは分かりませんが、22節を見ますと、この「あなたがた」は例によって「客観的な私たち」であることが推察できます。
彼ご自身の肉体の中で和解させられたからです。
つまり、この「あなたがた」は前の節の万物の一部分、従って、全豊満の一部となった「客観的な私たち」です。
つまり、パウロは全豊満の一部である人の部分を切り取って、その情景を描写しているのです。
そして、今現在、彼らは、聖なる、傷のない、責められるところのない者として 御前に侍(はべ)っています。
この光景は、幕屋の中心である契約の箱を取り囲む立枠を連想させるではありませんか。(出エジプト36:20-34)
契約の箱はキリストご自身、立枠は贖われ完成された聖徒たちを予表しています。
そうしますと、上の光景はまさに幕屋の成就完成を表していないでしょうか。
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幕屋の聖所と至聖所、金色の部分が立枠(ネットから拝借) |
即ち、これはヘブル書に出て来る、「真の幕屋」(
8:2)「さらに大いなる、さらに完全な幕屋」(
9:11)と考えられます。
幕屋の中には被造物を象徴するケルビムがあります。
ですから、「客観的な私たち」ばかりか、他の被造物達も幕屋の一部として機能しているのです。
全豊満が御子キリストの中に住む必要があったのは真の幕屋を構成するためであったと理解することが出来ます。
以上
2017/1/19
東 信男(Higashi Nobuo)
ftmp2009(atmark)gmail.com