
Amber Box
FANFICTION
グッドモーニングロンドン
オレはアヤをほめる。仕事に対する姿勢を。普段の考え方を。花束の出来を。知りうる限りの言葉で伝える。好意的だから評価しているわけではないことも言い添える。本心である。かけたものが相手にあるような気がして、その存在を肯定したくて言葉を練る。もしくはシンプルに伝え続ける。結果、ここに来て、アヤに言われたのはこれだ。「うそくさい」時々わざとらしく感じるのだそうだ。途端、こちらの眉間に皺が寄る。真心を嘘くさいとはどういうことだ。飲んでいたコーヒーが急に苦く感じられて、チョコレートを挟んだパイにかじりつく。「全部、ほんとだよ。なんだよそれ」むぐむぐしながら抗議する。どれほど助けられ、どれほど、大事か。言葉にする必要性を感じて過ごしてきた。わずかでも伝われば、互いを生かすのではなかろうか。カットフルーツのカップからりんごを取り出し、アヤがかじる。わかったわかったお前の言い分はそういうことにしといてやろう、って思ってるだろうと、ケンは重ねて抗議する。お前のそういう態度はまったくもってほめられない。また、ぐいとコーヒーを煽る。むすっとしているとアヤが口を開いた。「オレもお前がいて助かってる」「はぁ?心にもないことを」「ケン。そっちもそのリアクションだろ」「おまえのはウソだろ」うそに決まっているとケンはよそを向く。「まぁそういうことだ」アヤの声に何がだよ、と言って、お互い目を合わす。アヤにはケンの瞳が澄んだ湖に見えた。ケンにはアヤの双眸が静かな夜の海に見えた。言葉はなくとも、相手の存在に助けられている。真に光るものは互いの間にいつもある。そういうことにしといてやる」どういうことか。うそくさくてもうそではない。ほんとうなんだぞと睨みつけてからケンはアヤのカップからさくらんぼをつまみ、またモゴモゴと食んだ。アヤはカップの紅茶を飲み干して、真に受けるには、温かすぎると胸の内でケンの言葉を拒んだ。
forest green
花をとどけると、そのまま2人、茶をすすめられた。畏まるような座敷ではなく、庭が見える縁側に通された。池に水はなく、玉砂利が敷かれ、周囲を新緑のもみじや花の終わったつつじが彩る。足元にある苔むした鉢には何か細長い葉の植物が植えられている。
「今日は蒸し暑かったでしょう。いつもありがとう」
花屋さんと声をかけられて、器を差し出される。中には鮮やかな緑色の飲み物。冷水でたてた抹茶らしい。ケンはぎこちなく持ち上げ、アヤはすんなり手に納めて口をつける。甘く甘く苦い。いっときの暑さが引いて体がゆるまる。
「おいしいです」
相手に伝えると、ふわり微笑み返された。
「この鉢はなんですか」
花屋で働き始めた好奇心でケンが尋ねるとフウランであるとの回答。着生するランで、夜に咲き、甘い強い香りがするらしい。本来は山野の花だが、これは園芸種だそう。
「今日のオオヤマレンゲも良い香りがするのよ」
花屋では完全に咲いた花を見ないこともある。特にお茶花としてオーダーされる花木はそうだ。今回のお客さまももともとは百恵さんの知り合いである。
「香りは邪魔をすることもあるけれど、短い間だけだから」
小さな鉢に目をやってそう家主は語る。ずずっとすする抹茶も爽やかな風のような香りがする。百恵さんにと小さな菓子折りを渡され、アヤとケンは配達のルートにもどる。
「アヤ、口開けて」
訝しげにしていると先にケンが舌を出してくる。
「みどり?」
ふぇふふとしかアヤには聞こえなかったが、その舌の色を見て翻訳する。先程の抹茶の名残である。さやさやと揺れる新緑と同じ色。仕方ないかとアヤも口を開けて舌を出す。
「みどりだな」
ふぁふぁふぁと軽やかにケンが笑う。そんなに面白いことかアヤにはわからなかったが、一度口を閉じ、ケンが面白いならそれでよいかと再度舌を見せた。ふふふともう一音高い音でケンが笑う。ほころんだ相手を確認してからアヤは、むっと口を閉めた。
don't feel
左手には街の灯りがきらきら小さく揺れている。海側は暗い色をしている。時折、波間がちらちら光っている。深夜1時。もうどこを通っても車の影は少ない。いつもなら引っかかる信号もノーストレスで過ぎ去っていく。まっすぐすすんだ先でようやく赤信号に捕まった。夜のせいで互いの輪郭も曖昧だ。ミッションが終わり、指定されたホテルで身支度を変え、用意されていたレンタカーに乗る。ヨージはひとりでどこかに消えてしまった。オミは明日テストだからこのままホテルに泊まって学校に行くらしい。残った2人は明日の店番だから、仕方なく2人で帰ることになった。運転手はアヤ。眠いとぼやいたのはケン。信号で停車していると、アヤの左手をそっとケンが掴んできた。無言である。言葉はないまま、ケンの親指がアヤの手の平の中で円を描きつづける。さっきまであった血の匂いの昂揚を洗い流せなかったのかケンの指は熱を帯びガサガサしていた。それをまたアヤが握りしめる。触れる。指を重ねる。
「こそばゆいだろ」
掠れた声でケンが囁いた。車は青信号になってまた動き始める。アクセルをゆっくりと踏み込みながら、アヤはケンの中指を根本から爪に向かってじっくりと撫でる。ケンは応えるようにまたアヤの手のひらをぐりぐりと擦った。こそばゆくはない。
「・・・感じる」
強く逃さぬようにケンの手首を握るとアヤは声を出した。今の瞬間の虚しさとざわついた心の動きを互いに感じとる。触れていると明確になる。がさついた指先が硬い骨を中にしまっている。
「感じるなんて、変態だな」
捕まれた手をすり抜けて、ケンはアヤの手の甲をつねった。それから宥めるようにまた撫でる。痛いも労りも同じ檻の中だ。夜はいずれ途切れて朝が帰ってくる。海からは水色の光の気配がしている。朝が来る。重ねた手のひらをそのままに、アヤは運転に集中するよう短く息を吐いた。
悪霊
ロンドン塔には幽霊が出るらしい。目撃談も歴史的なエピソードも事欠かない。遠くに見える塔の部分を横目にみながら、ケンはなんとはなしにつぶやいた。幽霊なんてほんとにいるのかな。前方を気にしながら、運転に集中していたアヤはちらり横を見る。視界には丸いケンの後頭部。ぴょいんと襟足が跳ねている。
「いるんじゃないのか」
何かはいるんだろう。影か染みだったにせよ、何かはある。短い相槌にケンの肩が揺れる。
「オレの信仰にはいないんだ。いるなら天使か悪霊」
去った人間の出る幕はない。厳しい建物は遠ざかり、街は中世からジャンプして現在へやってくる。天使か悪霊か。
「オレがいなくなっても、幽霊にはならない。なる必要もねーけど」
前に向き直り、ケンはからからと笑う。だけど、幽霊の気持ちには少し興味が湧く。見た側の心に映った人影のことは想像してみたい。ケンの続けた言葉にアヤは、思案した。会いたいからだろうか、会いたくないからだろうか。怯えか思慕か、ただの妄想か。ロンドン塔には首のない幽霊がでるらしい。ふらふらゆらゆら、どこにも行かずに門の外にも出ていけない。
「アヤが幽霊になるってんなら、探してみるかな」
宗教でいうと悪霊だな。
「そうまでして、この世に出たいとは思わん」
アヤが静かに返すと、ケンも頷いた。
「だけど、オレも悪霊になったら、会うかもな」
ロンドン塔のどこかでばったり。お互いを認識できずにすれ違うばかり。ゆらゆら揺れるケンの後ろ髪は跳ねている。
「会わなくていいだろ」
そもそも悪霊になんかならずに、もっと遠くへ行くかもしれない。誰にもわからない。誰にも届かない。
「道に迷ったら、とりあえずロンドン塔で待ち合わせな」
会わなくていいと返したのにケンはひひひと笑う。壁の染みと見間違えるだけだろうけど、もしかして、後ろ髪が跳ねていたら。
「首付きで頼む」
アヤの言葉を間に受けたように気をつける、とケンは自分の首元を両手で撫でた。見えなくなった塔の門がうう、とうなった。
たるみが消えて、膨らむ
ただ笑うのとは違う。歯を見せて笑う。すると口角が頬を引き上げる。目尻の先に頬のまあるい膨らみがあらわれて、室内灯でつやつやと光る。目はたわみ、眉は下がる。喉は震えて、明るい声が漏れる。こちらはこちらで、笑われて恥ずかしさに血がのぼる。きっと首元から顔は真っ赤だ。
「耳が赤いぞ」
お前が笑うからだと反論するが動じない。まだ、歯を見せて笑う。そうして、伸ばされた手が赤いと言った耳を撫でる。心地よいが照れが勝って身を捩る。力関係はマウントを取っているからケンがまさっている。なのに組み敷かれてソファに倒れ込んだアヤの方が余裕であった。お前は知らないかもしれないが、オレは結構お前のこと好きなんだぞ。何回目かわからない相手の存在を肯定するための言葉を呟く。目線を合わせず、信頼していると続ける。そうしたら、このザマだ。静かだったアヤが笑い出した。声を殺せず、奥歯が見える。なんで、笑うんだ、何かおかしくて。耳に触れていたアヤの手のひらがケンの背中を撫でる。
「知ってる」
わかっているとぽんぽんと背中を叩く。
「わかってない」
オレのことをお前が知るなんてあるわけない。
「言ってることと話が違わないか」
まだ、笑った余韻が残るアヤの声がケンに触れてくる。
「わかってない。いつか思い知らせてやる」
「いつかか」
そんなに待ったり待たれたりする関係性だろうか。ぎぎぎっと歯を食いしばりよそを向くケンの頬をつまむ。面倒でうるさい奴だな、とアヤはあきれた気持ちになったが、それを飲み込むくらいのうれしさが花開いて、深く息を吸った。照れやくやしさや苛立ちに観念して抱きしめてきたケンをアヤはアヤでゆっくりと抱きとめた。むかつく、とケンがもがく。
「オレはむかつかない」
また笑いそうになるのを押し留めるため、アヤは目を閉じる。目の奥がじんわり熱い。広がる安堵をまた抱きしめ直しながら、ふんっと鼻息だけで笑った。
溶けて混ざってわからなくなる
カレーを良く食べる。カレーをよく食べた。街中でも手頃に食べられる。名前は忘れてしまったがチキンとトマトのカレーは、この国で生まれたものらしい。どろっとした豆のカレーもおいしかった。カレーは、クリスティの作品にも出てくるとクロエが教えてくれた。セントメアリーミードに住む老婦人のシリーズの中に出てくる。そのくらい日常的な食べ物だった。引っ越してきた当初、カレーを食べられる店の多さにほっとしたことをケンは覚えている。ある日、マーケットでサイズがばらばらなせいで安かった玉ねぎを大量に買い込んだケンは、カレーを作ることにした。とにかく玉ねぎを刻み、しっかり炒める。これにスパイスとトマト缶を加えることでカレーのベースが出来上がる。皮を剥き、包丁で玉ねぎをみじん切りにする。刃物を持っていても無心になれる。生活の中に、楽しさに近い暴力への焦燥があった頃はそうはいかなかった。何をしていても飢餓がつきまとう。料理をすることもなかったし、食事をしていたかどうかも記憶がさだかではなかった。3つ目の玉ねぎを刻み終え、手を洗う。うっかり目でもこすったら大変だ。冷蔵庫からチキンを取り出して玉ねぎとは別のフライパンで炒めていく。拳くらいの小さな玉ねぎはまるごとフライにしよう。一緒に買ったきゆうりはヨーグルトの和物にする。レストランではよく見かける定番の付け合わせ。米も炊く。カレーが残れば、水を足してスープにすればよいから、たっぷりつくる。もっと早くずっと生活をすればよかったのかもしれない。安穏とできるほど、精神は頑丈ではなかった。うそがつけないんだよな、オレ。何もかもに。クロエが、小説の中のカレーは毒入りだったと話していた。であれば、さながら今日のカレーには一つだけケンの自嘲のため息が混ざってしまった。食べた誰もスパイスにまぎれて気がつかないだろう。それでも、消えてなくなるようにケンは鍋の中身を底から掬いあげながらぐるぐると混ぜた。