Amber Box
FANFICTION

鹿児島、天文館のあたり、コーヒーハウス

小さな店だった。1日中歩き回っている内にどんどんと夜が更けていく。どうしても喉が渇いて、うろうろしていると遅くに開いていた店のあかりが目に入り、ドアを押した。飴色に光るテーブル。静かな店内。1人であることを告げると、カウンターを示された。だいぶ深い時間帯だが、客はいて、潜めた話し声や本をめくる音が聞こえてきた。 メニューを開く。季節の話とおすすめ銘柄も気になったが、渇いた喉を鎮めるために冷たい飲み物を選んだ。2層仕立てのカフェオレ。
待っている間にケンはようやっと1日が終わっていくことに安堵した。今の仕事はどうも要領がつかめない。誰かを尾行しているわけでも、何かを探しているわけでもなさそうだ。ただただ、指定された道のりを歩くというもの。これも何らかの意味があるのだろう。そう思っても、暑さにはげんなりしていまう。まだ5月なのだ。なのに、真夏のように暑い。半袖がよいのか、長袖が良いのかの判断もつきにくい。知らない町だからだろう、と納得しているとカフェオレが運ばれてきた。白い雲で琥珀色の夕暮れを挟み込んだような情景。
勢い込みそうになる気持ちを押さえて、ゆっくりと口をつける。冷たく、苦く、とてもとても甘い。耳を澄ますと、グラスの中の氷がカラリと溶け始めの音を立てている。 コーヒーだけの店に入るなんて、こどもの頃には想像したこともなかったな、とケンは思うと、またグラスに口をつけた。甘い甘い、甘くて苦い。行動の意味なんてどうでもよくて、今日もそう悪い日ではなかったとケンは肩の力を抜いた。

チームワーク

背中合わせの今が、もっとも最高で満ち足りていると言ったら、悲しいことだろうか。悲しいよりは寂しいことだろう。構えた指先が熱くなる。スリルを楽しんだりはしていない。衝動的ではなく、ひどく冷静だ。けれど、この瞬間があるから夜を駆けてゆける。意識の回路が勝手につながっていく。
一挙手一投足を肌が感じとる。背中に目があるよりも鋭敏で、手触りがあった。会話をするのがもったいない。腕を伸ばせば、はかったように相手に触れられる。急にあらわれたものではない。気があっているわけではない。積み重ねたものが、呼吸を生む。日頃のコミュニケーションもそこにはある。
隣を歩くとき、すれ違うとき、食事の時、荷物を運ぶ時、何が嫌か、どこを見ているのか。互いのトレーニングを観察したこともある。その先に、今がある。一人きりだと、乱暴な正義感に押し込めらかて息苦しい。背中合わせであれば、体が軽くなる。
「ケン」肩越しに投げられた声は危険を知らせる。身を捩ると、アヤに薙ぎ払われたターゲットがこちらに倒れ込んできていた。ねじった反動で別の標的に上段蹴りをいれる。その先には正眼に構え直していたアヤの切っ先が光っていた。蹴りを終えてしゃがみこむ。そのまま、アヤは腰をあげる反動でケンの背後にいた次のターゲットに切り込んだ。夜がそのまま真っ二つにされる。「あぶねーな」形ばかりの抗議をすると「ちゃんと見えてる」とケンには目もくれずアヤは言い放った。お互いよく見えている。今、満ち足りている感触は、一人ではありえない。さびしいことだと、アヤの背中を見ながらケンはひっそりと笑った。

ペンギンパークは今日も晴れ

ゆでたほうれん草とロースハムにチーズ。いちじくはスライスして、しっかり水切りしたヨーグルトにはちみつ。塩もみしたキャベツはぎゅと絞ってマリネにする。それと、ソーセージに粒マスタード。ツナときゅうりは王道の名コンビ。冷蔵庫の中身をからっぽにする勢いでケンは包丁をふるった。
最後に粗く刻んだたまごとマヨネーズ。晴れた過ごしやすい日にミシェルは動物園にペンギンを見に行くのだと、ユキをさそっていた。店番は、アヤとケンとクロエ。それなら、しなしなになりかけていたら野菜たちも一緒に連れて行ってくれとサンドイッチをつくることにした。朝、ミシェルはフリーを連れて張り切って、パン(この国ではブレッド)を買いに行っている。それならとクロエはステンレスボトルにアイスティーを準備した。アヤは、店の掃除をしている。そして、ケンはサンドイッチのために小さな台所で刻んだり混ぜたりした。
ただいま、おかえり。ミシェルはサワードウと雑穀入りの食パンを抱えて帰ってきた。それをユキが受け取ってスライスする。ケンをお手本にして、みんな思い思いにはさむ。冷蔵庫からヌテラをミシェルは追加で持ってくると、フリーの前のスライスしたパンにたっぷり塗った。
おいしそう、と呟いたミシェルの後ろで甘すぎるだろうと言わんばかりにユキが眉間にしわを寄せている。好きなものを好きなだけ。適切に適当に。ランチボックスに入りきれない分は店番チームのお昼ごはんになる。うれしい、たのしいと足取り軽く出かけていく3人を見送りながら、ケンは、日常生活という橋の上できちんとバランスがとれていることに安堵していた。店に戻ると、アヤがブーケの準備をはじめていた。どこそこに生活がある。なんだか肩の力が抜けて、ふあうとあくびをすると、朝からはりきるからだ、と声の硬さとは異なるアヤのやわらかい視線にねぎらわれた。
つかれたわけじゃなくて、これはリラックス。ゆるくほどけた様なのだといいたくて、ケンはただ、にー、と口を歪めるようにして笑い返した。

着心地の良い冬、服

おはよう、今日は冷えるよね。昨日は暑かったのに。あれ、アヤくん、今日はそれ、似合ってるね。だけど。 だけど、と止まったオミのバトンをケンが引き継いだ。「オレの服だよ」「そうだよね。冬着てたよね」見た見た、とオミが納得する。そのパーカー着て配達もサッカーもやっていた。見た見た。
急に朝は冷えたが、セーターを着るほどではない。カーディガンじゃ足りない。長袖のシャツにダウンも違う。昼は暑くなるか。じゃあシャツだけでよいだろうとアヤが部屋を出た瞬間、さむっと低い声で呟いたのをちょうど出てきたケンに聞かれてしまったのだった。
「その格好じゃそうだろうな」
中間の服がないのだ。ちょっと厚手のアウター。カーディガンでも重ねるしかないと眉間に皺を寄せたら、ケンがぽんっと手を打った。「貸す。ちょっと待ってろ」そうして自室に引っ込むと、またすぐ手には黒いパーカーを持って現れた。特徴的なフード紐に見覚えがある。
「貸すよ。おまえ、もうクリーニングだしたんだろ」パーカー便利なんだって、うちで洗濯できるし、一枚でも重ねてもいいし。「アヤにフードのイメージないな」「着ないからな。今日は、特別」寒い。ありがたい、と固い口調で返すとケンは、武士かよと笑った。そして、最初に戻る。
「似合ってるね。アヤくんとパーカーの組み合わせ新鮮」「オレのパーカーがいいんだろ」「いやいや着るひとが大事でしょ」オミの返しにケンは、むっと唇を突き出してすねたフリをする。実際、いつもと雰囲気が異なるがアヤにもよく似合っているとケンは思った。「制服の下、パーカーとかジャージとかき・・・着ないなおまえは」「その通りだが」このパーカーは着心地が良いと、アヤは独りごちた。
袖をまくりあげる感覚も日頃と違う。「パーカーの人達、配達の花からつくるよ」変なチームでくくるなとケンはオミに抗議する。そういえばケンはケンでネイビーのパーカーである。
「パーカーズで働きます」へーい、と手をぶらぶらさせてからケンはアヤに振り返った。「そのパーカーいいよな。かっこいい」「お前の服だが」「知ってる」なんだそれは、と他愛ないやりとりが続く。まるで、ともだちみたいだ、とアヤは思ったが、口には出さず、もう一度、念入りに袖を捲り上げた。

call me

小さく小さくどんぐりより小さくなって、草むらに埋もれてしまいたかった。麦の粒でもよい。この前、郊外で見たあの麦畑の一粒になってこぼれ落ちて、乾いてしまいたい。麦畑を見て、すうっとした気持ちはもう消えてしまった。バラの棘に苛まれて、眠りこんで、隠れたい。どこにも行き場などないのに。
きっかけは、ニュース映像だった。ちょうど一週間前のミッションの余波で倒産した研究所のあらましが流れていた。人の命を奪う案件ではなかった。けれど、閉鎖となったらしい場所では、入り口にあった大きな樹が、無惨に伐採されていた。下見で、見上げた日をケンは思い出す。繁った葉の隙間からちらちらと光が落ちてくる。命かどうかではなく、何かを壊したのだと、喉に声が詰まる。それからふいに、洪水のように、あらゆることが鳩尾を押しあげた。忘れてはいない。一つ一つの出来事が、ケンをぎょろりと睨みつけてくるのだった。枝葉を失った声なき株だけが、画面にある。
ぐぐっと自分の手首を握り、噴き上がる焦燥と寒気を噛み締める。生きている証拠である。こんなときは無性にアヤの声が聞きたかった。名前を呼んでくれるだけでいい。歩き続けるために、名前を呼んで欲しかった。心臓を守る鱗が剥がれ落ちて、いよいよ叫び出しそうな時に電話がなった。
「もしもし」「ケン、悪いが、忘れものがあって。ケン、外か?聞こえるか」いいタイミングで、電話が鳴る。名前を呼ぶ。勝手な辻褄合わせだ。よくわかったな。今、声が聞きたかった。泣きそうで、嫌になる。そんなことは何一つ口にせず、奥歯ですりつぶして、ケンは返事をした。「よく聞こえてるよ」

あたたまるし野菜もとれる

白菜とにんじんを刻む。さつまいもも一口大にそろえた。鍋に出汁の素をいれ、お湯を沸かしながら小麦粉をボウルに準備する。ケンは自分のみみたぶをさわる。やわらかくも弾力がある。人差し指と親指でふにふに確認してから、ケンは水を足して小麦粉をざっくりまとまるまで混ぜた。
鍋に野菜を入れ、火が通ったら、塩とソイソースで味を整える。小皿にとって味を確認する。悪くない。悪くないどころかうまいと腹にしみわたる感覚に安心の息を吐く。「いいにおいだ」出汁の香りにつられて、アヤがキッチンに入ってきた。じゃぁ、おまえもどうぞと小皿に汁をよそって差し出す。
ずずっと飲み干したアヤが「おいしい」と呟くのを見てケンの口元が緩む。野菜に火が通ったら、さっきの小麦粉をスプーンで丸くまとめながら、鍋に落としていく。「鹿児島の時にならったんだ。かんたんであったまる」うどんみたいにこねなくてもよい。
アヤは、時折ケンから耳にする"鹿児島"に思いをはせる。暖かく、灰が降る、南の街。海を見つめるケンの後ろ姿を想像する。そこで、今のように料理をしたり、眠っていたのだ。知らないけれど、知っているような気がする。「できた、できた」ケンの明るい目がアヤに振り返る。だご汁と呼ばれる料理。さつまいもが入っているのがケンのレシピの特徴らしい。スープマグにわけられたそれは、今日のランチである。ほろりと甘いさつまいもが口の中で溶ける。もちっとした小麦粉の団子は、満足感が大きい。「耳たぶのかたさなんだ」また自分の耳に触れているケンの耳たぶにアヤも手を伸ばす。ふにと掴むと、自分の耳で確認しろよ、とケンがうめいた。