Amber Box
FANFICTION

colors

差し出された新品のエプロンは、ピンク色だった。マグノリアにも同じような色の品種がある。キューガーデンズの"チェリーウォーク"と呼ばれる一画にある桜も、近い色合いだった。赤と白が混ざり合った色。ピンク。そういえば、先日行ったビルの屋上にあつらえられた庭の建物はまさにこんな色をしていた。庭の住人であるフラミンゴの方が近いか(妄想ではなくほんとうに屋上にフラミンゴがいる)。日本ではあまり男性は身に付けないカラーだとケンが告げると、それがどうした、だからなんだとクロエに返された。確かに、だからなんだである。さっさと白いシャツに合わせたクロエは、涼やかだった。いつも黒いインナーのフリーは、いっそう穏やかに見える。ミシェルのやわらかい雰囲気にも似合っているし、ユキのボーダーTシャツでも清潔感があった。ピンクは、たとえばバラの色である。花たちが、濃い色から薄い色まで、自分たちの持つ設計図で描く最愛の色である。ケンもやさしい色、似合うよ、とミシェルが笑う。似合うとか似合わないとかではなくて、自分の色ではないと思い込みがあるんだと答えてから、エプロンを身につけた。首を通し、腕を抜き、裾を整える。身につけた自分を足元から見直すと、明るい色はケンが着ている濃い色のデニムにもしっくりあった。隣を見ると、さっさと後ろの紐を結んで店の前に行こうとするアヤと目が合う。ケンの目には、アヤの肌の色に、薄いピンク色がなじんでいるようにみえた。「似合ってる」吐いた言葉は、ケンとアヤ同時だった。あまりにはかったように言ったから、社交辞令じゃないかと、ケンが拗ねるような顔をすると、もう一度、似合ってるよ、お前にとアヤが返して、ケンにだけ見える角度で、にっと笑ったのだった。

樟とテイカカズラ

とぼとぼと、雨上がりの道を歩いていると、急に何かの香りがかぐわしく強く、空間を満たした。つ、と鼻先高くなるように、ケンの顎があがる。平年通り梅雨入りした鹿児島は、しとりしとりとした時間が長く、ケンの気持ちも同じように下を向いていた。書類を届けるため、電停を降り、もちろん何の書類かケンは知る由もなかったが、見慣れてきた街の中を、歩く。わかりやすい門をくぐり、大学の受付と思しきところにたどり着き、ぼそぼそと預かってきた旨をつたえると、相手からは確かに受け取りましたと明るい声が返された。その時ですら顔をあげなかったのに、今は香りの源を見つけようと、目まで、見開いていく。一歩、足をすすめると香りが濃く近づいてくる。甘く、薬のようなかおり。湿度があるせいか、香りの池にとぷんと浸かっているような感じさえした。先にあったのは、ゆらゆらと葉を茂らせた大木で、びっしりと絡みついた白い小さな花が香りの正体であった。根元に近づき、ぐいと背伸びして息を吸う。甘い甘い形のない粒が、自分に向かって降り注いでくるようだった。知らない花。ぴんっと跳ねたような花びらが、指してきた陽光に白く光っている。樹もなんなのかわからなければ、花の名前が思いつくわけでもない。ただ、この場所は好きだ、と思いケンは、瞬きし、また下を向いて帰路についた。電停では、ちょうど来た市電が発車する様子だった。慌てて駆け出したりせず、ケンはゆっくりと視線で追いかけながら、見送る。息を吐くと、白い小さな花が近くにあるような気がした。

simple & clean

夏の部屋に、真昼の日差しは差し込まない。カーテンが遮った影が、今が何時であるかも一緒に隠している。影の切れ間にある明るい場所に足首を投げ出すと、くるぶしが熱をもつ。それが嫌で、引っ込める。けれど、丸まった体が窮屈で、また足を伸ばすを繰り返していたら、部屋の主が丁寧にカーテンを閉じた。犬か猫か。何かの動物のような仕草だな、と安心して伸びてくらる足を眺めながら部屋の主であるアヤは思った。足の持ち主は、ぐにゃりと床に溶けている。確かに冷気は下にたまる。掃除したばかりだから、フローリングは清々しい。さすがに寒くはないかと、アヤは気にしたが、これが心地よいのだと足は答えた。足、つまりケンは、ゆるゆるとアヤの目の前で緩んでいく。手のひらから、呼吸まで、気が抜けている。夜のミッションまで、仮眠が必要だった。自分の部屋に帰れと言ったが、ケンは今日が休みだったアヤの部屋の方がよく冷えていると言って、ころんと居座ったのだった。室内は灰色で、真昼の気配が遠のいていく。バスルームから大きいバスタオルを持ってきて、ケンの腹のあたりにかぶせる。見やると、まどろんだ淵に沈んでいくケンの目が、アヤをぼんやりとらえていた。じっと見返すと、なんだかむにゃりと納得した感じで、相手のまぶたが落ちた。  ミッションまで、あと4時間弱。沸きたつ棘をどちらも心臓に持っている。だけど、今はとても静かだった。空調の音がする。降りてくる風にも、肌に触れる冷たさにも音があるようだった。それらを体が吸い取っていく。ふと、アヤはケンの手のひらに触れた。すっかり室温と馴染んでさらりとしていた。

after the rain

雨の雫が額に落ちて、眉毛の真ん中を滑り、柔らかなまぶたの皮膚を撫でて、頬をつるりと落ちた。パチパチと振り出した雨は、黒いTシャツにさらに黒い染みを作った。ゴロン、と勢い良く叩かれた太鼓のような音がして、バシャンと天の底が抜ける。抜け落ちたところから、雨粒がバラバラと落ちてくる。髪がびっしょりと濡れ、Tシャツはさらに濡れ、スニーカーはぐっしょりと溺れるのだった。また、額、まぶた、ほほ、唇、顎を伝って首を水滴が滑る。灰色の空が泣いているのなら、その涙を受けて、地面の上にいるあらゆる生き物が泣かされているのだろう。最近、涙を流したのはいつだろうか。雨を避けられる屋根まで走りながら、ケンは思考を巡らせた。悲しいことも高ぶることもないのだから、泣いたはずがない。顔から腕、背中から腹まで冷たい雫に洗われながら、泣く必要がないことに安堵しながら、ケンは走った。

summer time

ランドセル、机、寝床。全部どこへ行ってしまったんだろう。ふわり、記憶の中に浮かんだそれぞれは、次のこどものところへ行ったのだ。新しいものと古いものと混ざりながら、バトンのようにパスされていく。バトンだから、自分のものではなかった。拾って生垣に隠していた木の枝や小遣いで買った30円のスナック菓子は、どうだったか。昨日、1500円で買った腕時計を見ながら、ケンは天を見上げた。ざらざらと落ちた雨粒は止まったが、まだ、雨は降りそうだ。1500円の腕時計ですら、購入まではだいぶ時間がかかった。ベルトは赤か黒か。文字盤はアナログかデジタルか。電波やソーラーは便利そうだったが、商店街の時計屋の店頭のワゴンから選んだ。いい買い物だったと、左腕をひねると時計の質感が体に響いた。これは、自分の持ち物だと感じると腹が膨れてくる。「シンプルでいいじゃん」天気を確認しようと店先に出てきたヨージに声をかけられる。黒いベルトにデジタルな表記。「時計、いいじゃん」「な」「なんだよその顔」自信満々かよ、とヨージはケンに向かって目を細めた。この時計もどこかへ行くのか。安物だから、いつか寿命が来る。電池を入れ換えられたら、幸いである。いいだろーとケンがヨージに見せびらかすと、応えるように雨がまた降ることを再開した。パラパラという軽いリズムが強い音の予感をさせる。いいねー、と返したヨージの声をかきけすように、灰色の空が割れた。

killing

花が枯れる。枯れそう。枯れる、枯れると呟きながら翻訳アプリに入力し結果を待つ。足元には紫色のスターチスが束で出番を待っている。先週、仕入れて花瓶に差した分からは、白い花が出てきている。スターチスは、この後から飛び出た白いのが花で、紫色の部分は"がく"にあたる。かさりとした触感。新鮮な時も乾いた時も変わらない。手元のスマホの画面には幾つか例が並ぶ。どれが良いか。どれが意味するところか。to dieと呟くと、通りがかったクロエが足を止め、ケンをじっと見た。無言でスマホの画面を向けると、いいんじゃないという風に眉をあげた。水をやらずに枯らしたなら、dryを使うとよい。人も植物も、死ぬし、乾く。渇いて、枯れる。その花はいつも乾いてて、わからないとスターチスに触れてクロエはいう。実際、乾いてもがくの紫色は残る。勉強になったとケンがいうと、クロエは花瓶の一本を手折った。きれいに切れず、花首がぶらさがる。killingというと、ケンはよくわかったというように深く頷いた。