Amber Box
FANFICTION

はじめての

はっきりと覚えている。夜更けに急に思い出したりもする。はじめてミッションを終えた後、自宅に帰り着いてから、水道水をコップ一杯飲み干した。ずっと緊張で意識は冴えて眠れもしない。足の指も手の指も、氷のように冷たくて、立っても座ってもバランスが取れなかった。 時間が過ぎたのか、腹は減った。けれど、何も口にする気にはなれなかった。罪や罰といった言葉にならないものが、ぞろぞろと身体中に絡まっているようなきがしてならない。奥歯を食いしばるが、凍えた指先に力は戻ってこなかった。そんな時、インターホンが鳴った。鳴らすような相手は1人しかいない。 腹の底に力を入れて、平然としたフリをして、相手と向かいあった。「予想よりひどい顔してるね」オミはケンに向かってあっけらかんと言い放った。「これが平気でいられるか」「平気な顔はしてもらわないと困るんだけど」内面はどうにもできなくても外ヅラは努力してほしい。「選んだのは君だよ」「ああ、そうだ」血の通わない指は、ドアノブを掴んだままかたまっている。ふつふつとたぎるものが心臓を焦がすのに、体は氷に鉛をかけたみたいに、淀んでしまっている。「嫌味をいいにきたのか」それともただの生存確認か。「どうせ、あれから何も食べてないんでしょ」こんな状況で食べたくないし、食べられるわけがない。わめいて反論しようとすると、ビニル袋が差し出された。「はい、これ。食べられるようだと、逆に人間性を疑うよ。そういうところは、普通じゃないと」ね、と語尾に力が込められる。受け取った袋の中には、バナナが3本入っていた。「くだものなら、食べられるかな、て。最悪吐いてもいいよ」「・・・見舞いなら、いちごだろ」「はぁ?食べるかどうかわからない相手にそんな高級品買うわけないじゃないか」バカじゃないのかと、オミはパチパチと早い速度で瞬きして、相手に抗議した。ぎゅっと眉間に皺をよせて視線をあげると、ケンはゴメンとか細い声を返し、口元を笑いにしきれずに、ちょっとだけ歪めた。選んだのか、選ばされたのか、選ばざるを得なかったのか。「無理して食べなくていいからね」「わかってる、けど」なんか腹減ってきた、とケンはビニル袋を室内に引きいれながら、オミと視線をあわせた。昨日もこんな風にお互いを見失わないように闇の中、見つめていたような気がする。ふいにケンのかたまっていた指先はほどけ、息を吐くともうあたりには夕暮れが迫ってきていた。「バナナ、冷蔵庫にいれちゃダメだからね」「知ってる 」「ぼくは知らなかったんだ」オミの回答にふわっと今度は柔らかくケンの口元が緩み、口角があがった。それじゃ、また。また、次のミッションで———。

湯が沸く

鍋で湯を沸かし、インスタントラーメンをつくろう。のっそりと台所に立ち、袋を開けようとしたら、爪が引っかかった。なんだろうと、自分の指先を見ると、端が欠けている。昨日のミッションで、つけた傷だろうか。今日は店番がなかったから今の今まで気がつけなかった。昼を過ぎて、もう夕方が近い。ごぼごぼと鍋が沸く。何か食べたかったが、どうしよう。ふいに食欲を取り逃がしてしまって火を止める。床に座り込み、ケンはインスタント麺にそのままかじりついた。ぼりぼりと砕いて飲み込みながら、欠けた爪も噛んだ。少し、血の味がした。

春を待つ

夕暮れが遅くなる。冬が少しずつ前にすすんでいる証拠だった。薄闇に蝋梅とフリージアの香りが溶ける。店の営業は18時まで。帰ってきたオミを出迎えたのはケンだった。ジャージ上下でいるからどちらが学生かわからない。
「今日は暖かかったよ」
マフラーいらなかったかもとオミが言うと、
「まだ寒い日はあるさ」
とケンが返した。それはそうだろうね、と相槌を打つ。気持ちがすれ違うような寒さを互いの心が感じあう。あと、数時間せぬ内にミッションだ。こんな日の日常は言葉にしにくい。早く夕方が閉じてくれればよかったが、まだ互いの顔がはっきりと確認できるから、乏しさを見つめ合うだけだった。
「メシは?」
「ケンくんこそどうするの」
そうだなあと呟いてから、うどんとケンは続けた。駅前に立ち食いの店がある。ボクもそうするとオミが手を挙げた。視線がすれ違う。今度は、マッチの火のように瞬間の眩さで心を埋めた。

find you

ファミレスで、昼をとる。先に店に入っていたアヤを見つけて、ケンは急足で席についた。近づいた瞬間、アヤの匂いがした。嫌な匂いじゃない。テーブルで顔を突き合わせると消えてしまった。いい香りというよりは、テリトリーを感じさせるもの。石鹸やシャンプー、香水とも違う。体や衣服から感じられる。自分自身にもそういう匂いがあるのかもしれない。メニューで顔を隠しながら、すんっと空気を吸い込む。わからない。わからなさに飲み込まれていると、「お前が来た匂いがした」なんとなくとアヤが言った。俺もお前がいるってわかったとケンが勢いよく返す。それに対して、アヤは、よくわからないというような表情を見せた。

猫が2匹

飼ったことはないけれど、気がつくと枕元に猫がいた。こちらを見ている。起きたのを確認されたら、猫はしゅるりと腹の上に移動してきた。重さがかかる。触れてみようかと、肩からゆっくり腕を動かす。それを気取られたのか猫は胸元から鎖骨の辺りに移動してきて、ブルーの目を細め、にゃうと鳴いた。猫を飼ってなどいない。
 だから、これは幻のなのだ。右腕を持ち上げて、今度は確かに撫でる。視界が明るくなり、アヤの身体の上にいたのは、額から血を流すケンだった。互いに気を失っていたようだ。息をしてから、アヤはケンの体を抱きしめる。抵抗するような反動と、首筋にあったぬるい息から、どちらも死んではいないことが確認できた。視界の隅から猫が去っていく。追いかけたりはせず、アヤは腕の中のケンだけをつかまえていた。

きがくるいそうだ

天井から見下ろされている。幽霊だ。宗教の枠組みからすると、そんなものはいない。天井に張り付いた男は、こちらを恨めしそうにじっとりと見つめている。幽霊ではない。一昨日、この手で屠った相手が視界に浮いている。人生で何度目だろう。そんな視線を向けても返してやれる言葉がない。最初の頃は、少々脅えたりもしたが、今となっては自分の体調を知る目安になっている。たぶん、オレも同じ顔をしている。眠れず、疲れてたるんだ眼差し。だけど、奥が爛々と光を放っている。だるい体を起こし、天井に指先を向けると死人も同じように手を伸ばしてきた。そうして、手を繋ぐ。体温も感情も湧いてはこない。けれど、握手する。運が悪かったな。正義の位置がずれている。あちらとこちらに、大差はない。あると信じた頃が懐かしい、とケンが呟くと、窓からゆっくりと昼の光が差し込んできた。現実にまたたく。もう一度天井を見るが誰もいない。触れても恐ろしくなくなったのは半年前だったろうか。幽霊や悪魔、天使にせよ、ずっと自分のそばにいるのは退屈だろうと話しかけたのが最初だった。気が触れていると思ったが、讃美歌を歌ったり、夢だと思い込んだりを繰り返し、手を伸ばした。  洗濯物は乾いただろうか。ぼんやり窓の外を見る。さて、今回で何人目だったか。覚えておこうと律儀に考えた時期は過ぎてしまった。何人でも一緒だろう。次は自分かもしれない。ぐぐっと腕を伸ばし、また天井を見る。染み一つなく、白い壁紙をまじまじ見ようとケンは目を細めた。